振動
こう言ってはなんなんだけど、私がアリ倉に出かけるなんて9割がたスト事が目的だから、その時もきっと何かしらの6人を摂取した帰りだったんだと思う。たぶん。でも心の中はその間もずっと緊張でザワザワしていた。
駐車場の事前精算機前を通り抜ける時、勇気を出して確認に踏み切った。覚えている、「行きたくて申し込むけど、も〜毎回やだァこの緊張感・・・」と緊張とげんなりを混ぜた鬱屈を、頭頂部からシューシューと蒸散させながら画面を開いたことを。
ま、早い話が「アリ倉駐車場で『ない男』の当落確認をした」ってことです。
こんな1行で済むことをつらつら書いてしまう、そんな私は松村さんの長〜い話が好きだ。あんなすごい人に対して相当失礼だけど、ちょっとだけ「・・・仲間♡」と思ってしまう。見えないものを言葉で見えるようにしたい、勝手な仲間意識だ。
そんな松村さんリスペクトで、今回も長話をお送りします。
それはさておき落選を繰り返して、何度目かの正直でカムブロの立ち見席をようやく掴み、昨秋バディくんに会いに行ってから『ない男』にたどり着くまで、4回もゆうごに会いに行けるという私的には奇跡の1年を過ごした2024〜2025。
その4回とも、違う会場で(3/4は大阪)(嵐デビューから大阪には本当にお世話になっております)(おたく的心の故郷)出会う推しは、まさに所構わず皆も唸らす光り輝く眩しい笑顔で迎えてくれた。むしろ老眼と近眼を同時進行するおたくには眩しすぎるくらいだ、メーデーメーデー。
はてさてそんな恒星のように眩しい笑顔のゆうごが待っている、シアター・ドラマシティへ本日行ってきたわけで。
途中、梅田ダンジョンという田舎ものには高すぎる連峰(LUCUA山、阪急山、梅田大丸山、グランフロント山などなど、街なかにそびえ立つアルプス山脈だアイツら)に行く先を惑わされながら、つまり方向音痴の私は何度も同じところをぐるぐる回りながら、息も絶え絶えに梅芸へたどり着いた。遭難寸前だったが、ちゃっかりきょものポスターも発見することができた。ありがとう野生のおたくの勘。去年もここで、きょものでっかい写真撮ったわ供給感謝。
FC枠で獲れた念願の1枚、とはいうもののさほど前方ではなく(むしろ後ろから数えた方が早い)、事前に漏れ聞こえてきた「ゆうごどうやら客席降りるらしいで」なゾーンも、遥か彼方。でも去年の立ち見より前進してるからな、次はもうちょい前だぜ。(希望は遠慮なく口に出していこう!)
開演して最初に飛び込んできたスーツ姿の推しに、一番に思ったというかうっかり口に出そうになったのは、「背ぇ高!!!」だった。声に出なくてよかった。いやあ、『太陽とシスコムーン』が『T&Cボンバー』に改名した時以上のビックリ度。(ビックリのものさしが変)
いや知ってたけど、改めて見るとほんま高いやん。街なかのアルプス山脈もかすむやん。これでかっこよくてかわいいとか体毛ないとかハーレーの似合うハマ番だとか、デラックス弁当のおかず詰めすぎやて。デリカシーがないくらいでちょうどええわ、うかつに存在が完璧すぎる。(褒めてる)
目に老化を感じるお年頃なので、ここからでは双眼鏡がないと細かい表情の動きは分からない。けど、遠くからでも裸眼で見えるお肌がツルッツル。合法的に推しの上裸を生で見る日が来ようとは。むしろ非合法って何だ。捕まるわ。
ベビーフェイスに高身長を搭載した、「テレビに出る人として完璧」なアイドルがひとたび声を発すれば、「テレビでの姿しか知らない」人が知ったらきっと驚くほどに会場の隅々までその声が届く。もうそのひと言で、会場全体の手綱は彼の手のひらに握りしめられた。
私はまだバディくんとない男さんのゆうごしか知らないけど、去年のバディくんのセリフ量とアメリカンコメディの喋り方や間のとり方に、かなり度肝を抜かれた。こんな力量のある舞台俳優だとは、心底おそれいった。
次に俳優のゆうごを見れるのは翌年か、と思ってたらまさかの映像作品で文太くんが投下されたのが今春。文太くんはキャラクター設定もあろうが、正直かなりバディくんに口調が寄っていた。だからこそ、素顔の文太くんがふいに発する真剣モードの静かな喋り方とのギャップに、心臓をぎゅっと絞られた。
文太くんからない男さんの間には「ワロタ!」のコントも挟むけど、もしかしてバディくんの影響ってすごい尾を引くのかな・・・恐ろしいぜニール・サイモン!(とばっちり)と、昨日までは少々思っていた。
しかし真に恐ろしいのはサイモンさんじゃなくて、役者:髙地優吾だった。初回の稽古時点で、猛烈な忙しさの中あれだけのセリフ量を覚えていたことも結構恐ろしいけど、もっと恐ろしいのが彼は新しい引き出しをつけたタンスごと抱えて、今年の舞台に上がってきたのだった。
同じコメディ作品でも、バディくんと良介くんは生きる時代も家族背景も国籍も違う。作られた国が違えば作品に流れる思想も空気も違うし、唯一同じなのは演者の顔(これが絶世の男前)(私は特に横顔を強く推薦したい)(脱線)。
共にうまくいかない人生だけど、それぞれ大切にしたい人たちがいて、自覚がないまま人を照らす力を持っている。似ているところもかけ離れているところも持った役を演じるのは同じ1人の役者、その2人の喋り方は全く違った。
こないだまでゆうごに寄り添っていたバディくんを、どこの引き出しにそっとしまったのか、すっかり「現代を生きる、日本人の若者」の引き出しを増設してそこを全開にして、同じ人なのに違う顔をして全身から声を出していた。
また新しいきみに、みんなが恋してしまうよ。その引き出しの増設数に、上限はなさそうだ。
淀みないセリフはこび、明瞭な発声、感情の上下に合わせて激しく波打つ声色、箱のすみずみまで正確に届く声が枯れることはない。努力の末に勝ち得た宝物、その喉が大きく叫び声を上げた時、全身がドンと持ち上がる圧を感じた。それは、巨大な空気砲を当てられたような圧だった。撃たれるような心の悲鳴だった。
今年、『YOUNGOLD』ツアーで初めてSixTONESの生のライブに行けたのだけど、その時にきょもが歌の中で発したビブラートで、まさに会場の空気がびりびり震えて「これはもし私が何も聴こえなくても、『強い音が届いた』と分かるだろう」と思ったことを覚えている。
あれも皮膚に届く、まさに「音の波」だった。過去にジャ務所含めいろんなライブに行ったけど、あんなに空気は音を通すのだ、と実感した歌声はなかった。
空気を揺らすきょもと種類は違うけど、ゆうごの声もまっすぐやってくる風の塊で、観るものが気圧される。歌声で話し声で、思いを伝えようとする迫力はどんなに遠くても届くんだと2人に教えられる。
ところで舞台中、ふと我に返る瞬間があった。
「大好きな人を観に来ているわりに、あまりにも普通に観すぎじゃない、私?」
普段映像や雑誌等でゆうごを見る度に、「ひえ〜かんわいぃ〜!」「時空が歪むほどかっこよすぎる」と、不審にクネクネしながら謎の感嘆を口走っているし、文太くんのあれやこれやのシーンではミャクミャク様のように1人で赤くなったり青くなったりして、そろそろ墓地を買わねばならんと動転していた私である。(人としてどうかというお気持ち、お察しします)
がしかし、あんまりにも普通に舞台を眺めているがゆえに、自分でもおたくとして大丈夫なのか、ゆうごに会いたくてここまで来たんじゃないか、むしろ一期一会が貴重すぎて私の感情しんだ?と心配するくらいの落ち着きに気付いた。
そうだ、確か去年もそうだった。
私は16年前のまっすーの舞台を最後に、現場へ行くこともおた活さえも封印して、お茶の間ファンになった。人の親になることが分かったからだった。
まあ人生紆余曲折ありながら子ズもそこそこ成長した頃に、私が聖闘士星矢のフェニックス一輝でも「地獄の底から舞い戻ってきたぜ」と言うだろうなと思いながら、突如おたくワールドに復帰した。復帰後の現場第一弾が、カムブロになった。
大好きな人に初めて会いに行ける、初めて生で演技しているところを観れる、ウッキウキLOVEメールも気合いと必要以上の念を込めて書いて持ってきた。そのわりに観劇中の私はいたって普通、自宅でテレビでも観てるんかくらいの冷静さだった。
その、あまりにも穏やかな観賞が終わった時、すべての世界がひっくり返った。
あの時の衝撃は、きっとこの先おたくを続けている限り忘れることができない。今でも生々しくその感情が残っている。しぶとい。
その時のことを覚えているから、昨日私は急に「ない男さんを本当に、観に行っていいのかな」と不安になった。あの痛みを繰り返すかもしれないと思ったから。
だってさっきまで普通に楽しく見ていたのに、最後にゆうごがカーテンコールでぺこっと頭を下げて背を向けた時に、急に現実の塊が頭を割るような衝撃で落ちてきた。
「ああ、もう会えないんだ」
そこからの動揺ぶりは以前のブログで書いたので割愛するけど、なぜその落差に苦しむことになったのか。
1年経ってようやく気付いた。
『普通に見ていたから』だよ。
大前提として「大好きな人を観に来ている」はずなのだけど、あんまりにも髙地優吾さんが普通に舞台役者だったから、周りに支えてもらうわけでなく肩を並べて走れる役者さんだったから、載せる気持ちに特別な偏りがなく一人の上手い役者に見えていたから、だから終わってからの落差に驚いた。
カーテンコールで、みんなと同じ役者さんの一人がいきなり「私たちの大好きな人」の姿に見えたから、その人が急にいなくなる現実に戸惑って動揺したんだ。やっと分かった。
そのことに途中で気がつくも、やはり舞台のど真ん中で輝くあの人は、どうしても一人の役者さんであり『車谷良介』にしか見えない。
客席を走って、ドアの外に消えて客席から見えなくなるまでずっと素の姿を見せることがないし、彼が慟哭するシーンでは客席のあちこちからすすり泣く声が聞こえた。笑わせるシーンでは、後席の男性のお客さんからも楽しそうな声が聞こえてきた。彼はずっと途切れることなく「役者」で、私がよく知っている人の顔はしているけどその人の中身は気配を潜めて、別の人生を生きている違う人だった。
ややこしいけど、誤解を生んでしまったら申し訳ないけど、板の上での彼は「アイドルではなく舞台役者」にしか、見えなかった。
彼はこの先どうなるんだろう、場合によっては捕まってしまうかもしれない。けど彼は自分の知らないところで他の人を幸せにする力がある、野の花のようなほのかに心に優しく灯る存在であることに、いつか気付いてくれたら嬉しいな、というじんわりとした幸福感で舞台は幕を閉じた。
そしてカーテンコールがやってくる。
照明がめいっぱい照らされて、さっきまでより明るくなったステージにキャストが徐々に集結し、最後に主演俳優が姿を見せる。急に視界がキラキラと光る。
あっ、いたここに私たちの好きな人が。
ぱっと世界に煌めきが満ちる。温度が上がる。
そう、私この人に会いに来たんだったよ。
でも、今まで違う人を見ていたんだよ。同じ顔なのに、不思議だよね。舞台がとても好きなことが伝わる熱意をさっきまで全身で見せてくれていたのに、演技が終わって客席に向かって話して演者さんと会話して、くしゃっと相好を崩すと、あなた急に車谷良介くんから私たちの知ってる髙地優吾さんに戻るんだもんね。
不思議と動揺や不安はなかった。もう暫く会えない、それは事実として確かだけど、「ない男」の世界で良介くんが残した穏やかな幸福感と、私たちがよく知る話し方笑い方で会場をぎゅっと包む、「そこにいるだけで」会場を出て外の世界に歩いていける力をくれる、ゆうごの温度を感じる明るさで、まだ次があると希望を持たせてくれる気がした。
だから今年は、悲しい別れじゃなかった。
次もきっと違う人を生きるきみに会いに来るよ。目には見えない希望だけど、差し伸べられた明るさを信じて歩き出せるから、きっと大丈夫だ!
希望と幸福感を、観た人みんなそれぞれの家に持ち帰らせてくれるなんて、ゆうごはとてもステキな役者さんで、そしてやっぱり最高な笑顔のアイドルなんだな。
さいごにとっても余談。
梅田ダンジョンに阻まれながら、なんとかたどり着いた梅芸ー!
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月22日
まっすーの「雨の日の森の中」以来、16年ぶりのシアター・ドラマシティ💛西田さんつながりで、きっと楽しいはずだ〜😊
ということで、きょもゆご!#ない男 pic.twitter.com/nuTLAiyp70
私がおた活産休に入る前、最後に見たのがまっすーの舞台だったことは前述したとおり(NEWSは3人ともソロ舞台を観に行った)。
16年前に同じシアター・ドラマシティでまっすー初座長の「雨の日の森の中」は、「ない男」と同じ西田さんの作品で、個人的にとてもご縁を感じているんだけど
・メンバーカラー黄色の
・かわいい笑顔がトレードマークで
・実は中身が非常に男らしい主演俳優
・だけど頼りなく情けない役どころ
・セットが2階建てでドタバタコメディ
・片桐仁さんと佐藤仁美さんが出演
という不思議な共通点があって、あれから16年経っても楽しかった記憶がほんのり残ってる。「ない男」もきっと、これからも人生に楽しかった思い出を彩ってくれる作品として、心に残り続けていくんだろうな。そしてまたゆうごがどんな役に出会っていくのか、来年もその次も観ていられたらいい人生だな。
(しかしあれから16年経っているのに、まっすーの歳のとらなさはどうなっているんだ?きっとゆうごにも、16年後同じことを思っている気がする・・・)(何歳になるかは分かりませんけどね!)
星空の守り人
もう、何回も何十回も聴いた。
「目にもの見せようか 歴史が今夜 音を立てて変わる様を」
そうだ、ただそれを見せられるのはテレビの前の『不特定多数』だけじゃなかった。まっすぐ彼を見ている、私たちにも同じ「今夜」だった。
SixTONESが昨年に引き続いてパーソナリティに就任した、今年の高校生クイズ2025。
リアタイしつつ番組終了後にも思い出しながら、Xで徒然に綴った感動と感想を記念にまとめておきたい。ただ残念、感動しすぎて面白いことが書けない。
去年はほぼ全箇所に帯同したゆうごも、今年はスケジュールの関係かそうもいかず、去年文字通りの死闘を繰り広げた小田原の戦い──北斗とともに一番近くで見守り、2人で長丁場を戦う高校生を心身両面で支えた──も、今年も現地に赴くもののまさかの津波警報で、避難のうえ延期に。
避難の様子は映されていないが、きょもゆごは自分だけ我先に逃げる人ではないはずだ、きっと映像に残されていないだけで不安な高校生たちを励まし続けたことだろうと想像できる。
親元を遠く離れ、相当な緊張を抱え戦うために訪れた見知らぬ土地で災害に見舞われる、そんな若者たちの前を素通りできる人ではない。と自然に信じられる。髙地優吾、という人の人間力に絶対的な信頼があるからだ。
なにはともあれ、皆さん無事でよかった。
結局リスケのため小田原戦はあまり参加できず、次にゆうごが姿を現したのは決戦の地・沖縄だった。
しかも去年も高校生と並走して励まし寄り添い、最後には高校生自身の力で前に進ませるべく背中を押した(しかも袈裟姿で、雨の中で一緒に走る)(「この階段登ったら、みんな待ってる」なんて、咄嗟に誰にでも言えない)、最も心身ともに過酷な戦場・ばら撒きクイズの場に、再びゆうごが立った。
スケジュールの都合もあったと思うが、こんな適任いるか??スト5がどうこうではなく、芸能界、いや社会全体で見てもどうだ。あんなに、押しつけがましくなく自然に「人に寄り添える」人は、そうそういない。
ゆうごの、ひとことで言うなら「寄り添い力」、あの懐の深さはどこからやってくるんだろうな。きっと芸能界入りから数え切れぬほど嫌な思いをしただろうし、人の汚さを見てきたと思うのよ、人間不信になっていても仕方ないよ。でも「人に興味ない」と言いながらたくさんの人の心を救ってきててさ、尊敬
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月9日
ゆうごのブログは、基本的に「今日何をしてどう思った」ということが分からない。非常に曖昧にかつ巧妙にフィルターがかけられ(食べ物にもマズそうなフィルターをかけるある種の才能)、読み終えても結局、「で、今日何したん?」と煙に巻かれていることには気付くものの「でもいいか、今日も生きてブログを書いてくれてありがとう」と、不思議と満足して終われる謎ブログである。
たまに、怒っている時がある。
わかりやすく見下されたり、理不尽な思いをしたと吐露することがある。その結果、本人以上におたくが見えない相手に怒り狂うのである。
ただそれは、氷山の一角だろうというのは想像がつく。自己主張の激しい人々に囲まれた独特で強烈な世界で、毎日呑気にふんわりと生きているはずがない。特ににこにこしている人に対して、強気に出てくる「お前こそ真の弱者だ」な人が必ずいる。
自分が望んだわけでない世界に放り込まれ、悔しさ虚しさ裏切り妬み嫉みなんてきっと何周も見てきた人だ、人に対して『諦め』があっても仕方ない。それがたとえば『恐怖』であっても安易に励ますことはできない。
それを彼は、「人に過剰に期待しない、興味を持たない」という盾を持っていても、剣ではなく手を差し伸べる。どう接していいか分からないと言っていた後輩たちにも、初めて会う高校生たちにも、まっすぐ前から手のひらを差し出す。
「同じ人間だから。」
傷くことを繰り返しながら大人になってきた彼が持つ、フラットな目線はまっすぐな心を持つ者や、大小の不安を抱えて日々を暮らす者たちを救う。それも、過剰な優しさや踏み込みをせず、ちょうどいい塩梅で相手が前に進むところに手を添える。怒りで支配するでもなく、相手のスペースに入り込みすぎて依存させるでもなく。あくまで相手が前に進むところに、自然に寄り添っている。
これが、戦いに臨む高校生たちに刺さらないわけがない。努力し自分たちの力を信じてきた思春期の若者の力を信じて、少し不安で揺れそうな時にはそばにいてくれる。チーム戦のスポーツ経験があることも活きているのか、『味方がいる』心強さを教えてくれるあたたかい眼差しは、きっと弱った心身の力になる。
そんな恐ろしくサポーター適性の高い、『髙地兄さん』の隠された役割とその任務遂行力の高さに驚かされたのが、ばら撒きクイズ後半の『クイズを読む髙地優吾』だった。これにはおたくだけでなく、クイズを愛する方々からも驚きの声が上がっていた。
えー、(年齢非公開)歳であの強烈そうな坂を、現役高校生と一緒に走るのぉ!?と思ったけど、さすがのサッカーで鍛えた体力と折れない心、最後までやり抜く気力で走り抜き、さらに変わらぬ聞き取りやすい声で問題文を読める、髙地優吾という男の底のない実力を見た#高校生クイズ
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月9日
去年の高校生クイズで、学生に寄り添い優しく頼れる髙地兄さんとして参加者・視聴者をメロメロにした1年後、今年はその称号に「坂道ダッシュした後にクイズ読みを任されその役目を全うする」仕事人髙地兄さんという輝かしい経歴が加わった!
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月9日
だ〜か〜ら〜、これを機にナレのお仕事待 っ て ま す(目力
どうやら「クイズを読む」ということは、素人が思っている以上に難しくスキルを必要とするらしい。少しのミスや発音の違いが誤答を招くという、責任の重い役割であるというポストがX上で散見された。そしてそのどれもが、髙地優吾という人の功績に驚いていた。
目を閉じていても問題文が淀みなく頭に入ってくる聞き取りやすい声、滑舌のよい話し方、漢字の読み違いやつっかえることがないテンポの正確さ、最後まで一息にいける肺活量。
本来きっと、アナウンサーさんの仕事だろう。
それを諦めない心と努力で補って、求められるものを確実に提供できる実力と、任せてもらえる信頼を得てきたゆうごは、これ以上ない人選だったに違いない。
バラエティにおける放出エネルギーを保つため、とにかく喋っているとかつてゆうごは言った。でも、高校生クイズは文字通り高校生が主役で集中を途切れされることはご法度なのだろう。ゆうごは発言の数を絞り、しかし発する言葉は文字に起こされるほど的確でいわゆる『テレビで使える』言葉に満ちている。無理に感動をあおる喋りをしないのも、等身大でいい。
持ち味の天然や「かわいい」は封印して、でも優しさやあたたかさは確実に見ている人に伝わる。
最終戦、ぎりぎりのプレッシャーで戦う9人の高校生たちに、ゆうごはそばで見守りながらも強く励まし支え続けた。彼の発した言葉は、確実に力があった。
序盤から点差が開いてきた早押しクイズで、自信のなさそうだった東京武蔵はっとり君が(本人曰く、苦し紛れで出した答えが当たった、とのことだがお見事だった)正解し、控えめなガッツポーズをしたところをゆうごは見逃さなかった。
高校生クイズ、決勝で最初は後手に回った東京武蔵が得点した時、「これで流れ変わるよ」(曖昧)という感じの一言、本当にあのひりついた場に立ってる若者が、どんだけ励まされたろうと思うよね🥹ゆうごの決して諦めない心と信じる気持ち、応援する優しさが本当にその後の流れを変える一助になったと思う
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月9日
正確には「風向きくるかもしれないよ」だったわけだが、その言葉の通りその後の東京武蔵は4連続正解を叩き出した。まさにパッションの力で他校に追いつき、またゼロからのスタートラインを敷いた。
そんな彼らを笑顔で見守りながらも、過剰に肩入れせず他校も平等に扱うから、信頼度は増すばかりだ。
その後、解答権を得たものの答えられなかった東大寺にJ2が励ましの言葉をかけ、続くゆうごの「勝負に出なかったら、勝てなかったから」という言葉に、なにか既視感を覚えた。
そうだ、キネ旬NEXTだ。
→あと、『運』の話が好き。大きく賭けに出ないゆうごが、嫌な事が起こるリスクを背負いながらも行動するほうを選ぶ、だからこそ彼は神様が手離さない運の持ち主なのかもね😊
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年8月9日
私は『入ってる』ゆうごが見せる顔が好き(求:キメ顔にらめっこ復活)だけど、ラストページは見た人皆が幸せになる笑顔の花✲
2025年8月号のキネマ旬報NEXTのインタビューで、ゆうごは運について「すべて行動に移さなくちゃいけないと思います」と言っていた。
なるほど、口先だけでは出ない『言葉』の質感を感じるのは、こういう信念でゆうごが生きているからなんだな、とポジティブな発言の根源を見た気がした。
そんな難しいこと考えて発言してないよ、とゆうごはふにゃっと笑って否定するかもしれないけど、ギャンブラーより公務員な堅実派のゆうごが挑戦する人やことを否定しないのは、こういう目線で自分や相手を見れるからなんだろう。だからこそ、生ものである舞台での芝居やバラエティに体当たりする勇気があるのだろうな、とも。
髙地優吾、きみの懐はどこまで広いんだ。
あと、どこまでどんな仕事ができるんだ。大人としての能力値が高すぎる。
去年より行けた現場の数は少なかったかもしれない(スケジュール他の関係で)。でも姿を見せた限られた場所で、確実に実力のある人しかできない仕事をし、人を励まし人の心を掴み、公明正大な態度は忘れず場の雰囲気を変えて明るく前向きな空気を作り、 #髙地優吾 、バラエティ界の必殺仕事人すぎる🥹
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月9日
本人たちもファンにも待望だった冠番組ができた。そこでゆうごが、番組が円滑にかつ面白く進むよう、地道にサポート役に回り縁の下の力持ちな役割を担っていることを、彼のおたくはよ〜〜〜〜く存じている。
しかし残念なことに、限られた放映時間の中ではより瞬発的に強い光を出した方に目線もカメラも向くのだ。視聴者も派手さや刺激を求める。お城の見事な白壁や屋根の鯱に目を奪われるけど、なかなか石垣の勇壮さには気付かない(※愛好家はのぞく、というのはどのジャンルでも共通しているんだな)。
他の仕事だって同じだ、歌番組にせよフェスにせよドラマにせよコントにせよ。その道が少しでも達者なものに目がいくのは、責められることではない。
けど、でも、知ってるよ。
人間だから得手不得手があり、いくらおたくがステキだと思っていても本人には満足がいく出来ではなかったり、そのジャンルを得意とする他の人にライトが当たることも多々ある。けど見ている人は必ずいて、曲げてた膝をうんと伸ばしてジャンプする時、強い光は必ず当たるんだよとゆうごの姿に教えられる
— 有羽@デニムの国 (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2025年9月9日
きみが、ずっと力をためてきていることを。
それを開花する場所はこうやって、確実に現れてそのあまりの存在の大きさに私たちは、どこにそんな顔を隠し持っていたんだと毎回新鮮に驚かされる。あまりにも、努力や苦労を見せない人だからね。
歌でも、演技でも、こうしてゆうご自らが主戦場に選んできたバラエティでも、いつも人の狙った射程範囲を大きく超えて撃ってくる。そしておたくのいる域を超えて広がった波紋に、驚きを超えて喜びと尊敬がその都度生まれる。
君は底のない人だ。
えらい人を好きになってしまった。
「歴史が変わる様」を目の前で見せてくれて、ありがとう。そしてそれは、今夜だけでなくこの先も幾度も現れるはずだ、歴史の転換期は一つじゃない。
その度に、新しい夜明けを一緒に歩きましょう。
今日も今日とて、日々笑顔。
イエロー・マジック・オデッセイ
YOUNGOLD5大ドームツアーが閉幕し、ここ数ヶ月私の心をがっちり捕まえていた、生のSixTONESに会いに行ける幸せのチケットは全て役目を終えた。つまり、次に『必ず会える』という約束は現在のところ、私の手の中にはない。
でも、思ったほどぽっかり穴があいていない。本当は少々あいてて風が通っているのかもしれないけど、最終地点から吹いてきたその風をよく知っている。
人生初めて、ひとりで訪れた名古屋で発券されたチケットにはスタンド席のご案内、これが案外よかった。
京セラでは同行者の強運のおかげで、アリーナ後方ブロック最前列で花道とフロートで近くに来たメンバーを、肉眼で拝めた。人生もうこんな幸運なくても何も言えねえ、な良席だった。
ただ、平地からは遠くのメインステージで何が行われているかほとんど見えず、ゆうごはドームの反対側でニャーニャー言ったり朝までイェイイェイ言っている。おまけに(※前回の記事参照)花道トラブルがあり、目の前に来るはずのゆうごが来れない事件もあった。これはなんとも死活問題。
今回は、スタンドとはいえ低層エリアで京セラと反対側なので、全体の演出がよく見えるしメインステージも見える、イェイイェイやニャーニャーのゆうごもこちら側で、野鳥の会員(=双眼鏡必須)ではあるものの拝観チャンスが激増。
京セラは初SixTONES邂逅で神席でとにかく目の前を見るので精一杯、しかし名古屋で少し角度が違えばとにかく演出が美しいことがよく分かる。
本当に金閣寺は燃えてるし(※ニュアンス)、花道は動いてるし(アリーナだと意外と遠くの花道が見えなかった)、レーザーはピラミッド形になったり次の衣装を示唆するような色になったり、背面側まで黄色と青の照明がぴかぴかしていたり、天井のライトが花道の六角形に照らされていたりと、前回見えなかったものがたくさん見えた。
セトリは何を歌うかは知っていたものの、曲順は正直最初の2曲しか覚えてなかったので、参戦2回目とは思えない新鮮味があった。いやそれは、私の記憶力の問題だけど。
と、いいことづくめの名古屋初日、開演後の私は少々ぷんすこしていた。
構成上、そりゃそうだがメインステージで6人揃って踊る曲が多く、野鳥の会やスクリーンにお世話になりながらもゆうごの動きを追うことができた。なんと毎日かわいいとかっこいいを更新している、京セラもよかったけど名古屋のゆうごもまたべっぴんさん。別衣装の生やんよ(銘菓みたいだな)、もたまらん。ひととおり称賛。
しかし私はわりと序盤から、ぷんすこスイッチが入る。開演後しばらく顔のよさにぽーっとしていたが思い出したのだ、この顔のいい男が今までもたびたび発してきて、最近も雑誌で「俺はメンバー5人の船に乗っているだけだから」という、おたくも閉口を禁じ得ない『俺なんて』発言を。
あなたは今、
このステージでもまだ、
自分のことをそう思っているのか。
前回より動きがよく見える席に来たからこそ(物理的には遠いけど)、そのすごさがより分かる。画面で見ていたよりも、その進化をより実感する。
ダンスの、表現力の変貌を。
ゆうごのいいところはその真摯さと苦手意識からくるものなのか、ダンスがとても真面目で模範的なところだと思っている。俺が俺がと大きく自己主張しないところは、バラエティやグループ活動での立ち位置と似ているなと。
きっと、振り付けで教えてもらったことを素直に吸収して出力できるから、アレンジも多くないし『お手本』に向いている・・・ちょっと変な言い方だけど、私のような素人でも教材として抜群に分かりやすいのではと。
と、好きになった頃そう思っていた。でも、そこで立ち止まっている人ではなかった。
徐々に夜が明けて、空が白んできて世界を明るく照らすように、閉じていた目がゆっくりと視界を広げていくように、蕾が開いて花の香りが漂い始めるように、人知れず静かに鍛錬を重ねた成果が万人に気付かれ始める。
ひたすらひたむきで真っ白だったその動きに、どんどん色がついている。そこに落とした色は生地に広がって、新しい絵柄になり混じり合って新しい色になっている、それこそがゆうごにしかない表現になっている。
あの白衣装はよくできているな、と改めて思った。前回、京セラで「袴のようだ、武道をする人の衣装だ」と思ったけど、それに加えてあの五分袖がまたいい。
衣装から伸びた前腕が、肘から先の動きがよく見える。器用で手話のできる人だから手先がよく動くのかと思っていたけど、今では前腕の動きがしなやかでそれ単独で生命を持っているようにさえ見える。
それはたぶん今まで生きてきて見たことのない、実在しない生命なのかもしれない。人の心には灯るけど、実際には目に見えない炎なのかもしれない。でも、ゆらゆらと静かに燃える命は息を呑むような美しさだった。
こんなものを、誰にも誇示せず習得していたなんて。いきなり見せられて、これは言葉も出ない。短期間でもう次のフェーズに行ってるとか、どんな必死の努力とめざましい成長をしているんだこの人は。
日々全肯定おたくとしてゆうごを褒め称えて悶絶して生きているから、推しの発言や思想にあれはダメこれはやめてとかは極力言わない(でも、髪型かます時は少々覚悟がいるから予告がほしい。願)。
けど、これを生で見てしまった以上、どうして自分でこのすごさが分からないんだという疑問と悔しさとが混ざって、ぷんすこせずにはいられなかった。なぜ名古屋まで来て、私は大好きな人に腹を立てているんだ。
謙虚で真面目で猛烈な努力を重ねた結果、階段を上がっていく自分のスピードが自分では見えないのだろうか。台風みたいにまわりはその威力に目を白黒させてるけど、台風の目の中にいると意外と分からない?みたいな・・・
いずれにせよ、もうあなたはそういう段階ではないところに来ているんだよ。5人に乗せてもらっている船などない、船首で風を受け止めて立っているじゃないか。
どうかもう自分という存在の大きさを認めてくれ、自分は頑張っていると揺るぎない自信を持ってくれ、あなたが起こす風は確実にあり、それで幸せな日々を生きている人がこの世にたくさんいる。
翌日のゆごあしに、『この人生で良かったって/思えてるのかもしれない。』と綴られていた。
〜のかもしれない、という言葉にまだ全ての確信があるわけではない、どこか揺れる気持ちがあるのかもと思った。まだ今の状況が不思議だと感じているくらいには。
けど、少しでも「良かった」と思えるのなら、思ってくれるのなら。それはあなたが苦労して自分で掴んだ、岩山のような道の先に立つ今の姿。険しい道程を経て得た経験と力。その全部が『俺の人生素晴らしい』と言い切っていいほどの収穫だと、気付いてほしい。
決して驕っているなんて思わないからさ。
夜は明けたよ、目を開けようよ。
みんながあなたの起こす風を待っている。横にいる5人も、会場の何万という人も、遠くから心を寄せる数えきれない人たちも。
少々ぷんぷんしながら見ていたとはいえ6人のステージは本当に素晴らしかったし、MCでは本気の大爆笑するほど楽しかったし、一度見ていても同じ特効で心底驚いたし、徐々に私の悔しさはドームの天井に飲み込まれていった。
慎太郎、MCで北斗のことを1番心配していたのはあなただったね。ゆうごに逆に自分をいじれよ、と言われちゃうほど健やかな心で、押しと引きのバランスがいい繊細で優しい人柄で、その場にいて気持ちが洗われるようだった。
ジェシーの存在感は本当に圧倒的だった。身から出る勝者のオーラ、けど本当はナイーブで内気な顔を今も持ったままグループのために仁王立ちしてくれてるんだよね、とステージの大きな姿にありがとうと頭を下げたくなった。
かつて私にグドラの振り付けを教えてくれたのは北斗、今や押しも押されぬ実力派俳優でその見た目の美しさもグループの人気を支えてくれているけど、守りに入らないで尖って薄暗い内面も構わず見せてくれる。弱者が目指す憧れの背中。
じゅり、先頭に立って攻め込む言葉の強さと、愛される加減をよく知っている人だと思った。じゅりからは、不安でぎゅっと誰かの手を握る子どものような部分と、責任感にぐっと顔を上げる勇敢な部分、そして5人を「友達」と屈託なく言い切る信頼感をいっぺんに感じる。
スクリーンに大写しになる顔が、まるで具現化した神様を思わせる美しいきょもが発する音の圧力が凄まじい。もし私が何も聞こえない状態でここに立っていても、きょもの歌声が空気を震わせて、きっと私の皮膚をびりびりいわせ「音がそこにある」と教えてくれる、と確信しながら見ていた。
ステージは佳境を迎え、『WE ARE ONE』のジェシーのAメロから既に涙が出てきそうだった。普段涼しい顔をしているじゅりが、体中の空気を吐ききり歌い終えた顔が映ったのも、心が大いに揺れた。サビではついに涙が溢れた。
ここまできた、ここまで連れてきてくれた、と旅立ち消えていく6人の背中をありがとうの気持ちで見送る。この時が終わっていくことが確かにさみしいけど、カムブロのカテコ終わりでゆうごがくるっと背中を向けた時の、あの突然お別れを突きつけられた「もう会えない」絶望感とは、まるで違った。
ここは終わるけど、この道の先がまだ続いていて、かすかに聞こえる6つの靴音に心を寄せることを認めていてくれるような希望がある。
Voyageは終わらない。
アンコールはまたのっけから楽しませてくれて、『音色』でしんみりして、いい思い出で胸がいっぱい・・・なところで慎太郎が「失礼しま〜す」と言った。
なにが?と思ったら、『WHIP THAT』の景気のいいイントロが流れてきて、そーだった最後これだったわ!!!と、セトリ失念による新鮮味が再びやってきて気持ちに溜まった湿っぽさが吹っ飛ぶ。
いつもジェシーが踊るまねっこパートを、この日はきょもゆごが担当して(そういう交代バージョンがあるのは知っていたけど、生で見るのは初)、最高に笑って楽しくて嬉しくて、やっぱりこの明るさやめられないな!と全てのもやもやが金テと共に遥か遠くへ飛んで行った。
だから、塞げないほどの大穴があいていないのだ。すべての日程が終わった今でも。楽しくて楽しくて、6人がこれからも大好きで、またいつ会えるかどうか分からないけど、きっとそんな不安は彼らが上書きしてくれるのさ。
願わくば私たちの楽しさが、どうぞ彼らの健康と喜びの上にたつものでありますように。
過去に他Gでもツアーの初日や中盤に入ったことはあったけど、オーラス前日は始めてだった。名古屋遠かったな、けどメンバーが口々に「5大ドーム最終地点に来ました」「最後の地に連れてきてくれてありがとう」と言ってくれたから、もうその言葉だけで「行ってよかった」に尽きると思った。
本当に幸せな時間をありがとう。
謹賀新年!!!!!!
約束のその先
本当はこんな味をしていたのか、こんなに柚子の風味がしたんだな。
あの時と変わらない、明るい生気に満ちたラーメン屋のカウンターで私は、黄金色のスープに包まれるまったく同じラーメンをいただいていた。でも味は違った。
カムブロ終演直後、もうゆうごに会えない事実に急襲され動転しながらここにたどり着いたのは、わずか4ヶ月前のことだった。皮膚を突き破って外に出ることもできず、体の中で膨れて広がる内出血のように、どうしても体の外に出られなかった涙で私は本当の味を知ることができなかった。
でもあの時、「おいしいものを食べて、またゆうごに会うためにこれからも生きていかなくちゃ」と誓った。そして私は、その約束を果たしに再び大阪にやってきた。
25年も経てば老朽化しているだろうかと思ったドームは、記憶の中と大して変わらない姿で青空の下、白光りしていた。そしてこの中で音楽を聴くのは初めてだ。
25年ですっかりネット社会は広がり、あれは声を出せあの曲では踊るべしあれやこれやご注文、とストのライブは敷居が高そうだなあと若干不安要素はあるものの、まあブランクはあるもののJ現場は初じゃねーし大丈夫っしょ〜と適当なんだか繊細なんだか状態で乗り込んだ会場。おお男性ファン結構いるやん、しかも見る人見る人松村さんのうちわ持ってる。(※たまたま)
しかもこちとら古墳時代からワープしてきたので、自宅に郵送されてこないデジタルチケット自体が初めて。おっ紙が出てきたぞとハニワは文明に触れてカタカタ音を立てる。えいっとひっくり返す、・・・アリーナ?
ということでまさかのアリーナにご案内され、しかもブロックで最前列だったので、猛烈に埋蔵品いや荷物が多い勢は助かりまくり。(※この辺からライブ内容に触れるので、ネタバレ回避したい方はまたの機会にお会いできたら嬉しいでござる)
積極的にライブレポを見ようとしなくても、東京公演の様子がTVや記事で流れてくるので、ある程度のセットや演出、衣装は分かっている。セトリは見ねーからなと固い意志でキーワードブロックをしても、まあ入ってきますよね何を歌ったか。せめて曲順だけは!知らん!!という、ものすごい中途半端な状態で着席後あっという間に開演を迎えたわけです。あっ開演前にストーンズストーンズって呼ぶ間はないわけね今回。
「この曲を生で見るまで死ねん」と願っている『NAVIGATOR』をはじめ、ライブでぜひ体験したい曲がいくつかあるのだけど、その中のひとつが『Dance All Night』だった。
髙地沼の水際で猛烈な抵抗をしていた私の背中を蹴り飛ばしたのが、慣声DVDだったことは前に述べたことがある。その最後の最後に私の頭を水中に押し込んだのが『Dance All Night』で、これは音源だけでなくゆうごが歌い踊る姿を見たからこそ好きになった曲。そんな『ステージ出』の曲が今回も増えた。ちなみに『DON-DON-DON』と『Tu-tu-lu』で、横棒仲間である。ゆうごの映像が猛烈にかわいすぎた思い出とともに。
それはそうと、アリーナである。メインステージの平地では何をしているのか見えないけど、通路と花道が近い。動く花道に囲まれはしないけど(つまり外側)、そこそこの距離に花道が伸びて来る。カムブロを最後列立ち見で見た私にとっては、花道はそれよりも近くにあった。
その花道に最初にやってきたのが、キネ旬俳優・松村北斗さんだった。てことで私が人生で初めて一番近くで拝んだSixTONESは、キネ村さんいや松村さんということになった。
アナタしか着れませんという組み合わせの白黒ベース衣装で現れた松村さん、最初は花道内側を向いていたのだけど、途中でくるりと向きを変えて花道外側に顔を見せた。すると。
私のいたブロック含め、その辺広ーーーーい一帯が「ぎゃあ〜〜〜〜〜〜!!」と一斉に悲鳴を上げた。振り向いただけで大絶叫である。昔、ジュリーが歌いながらステージから指を差したら、観客のお嬢さんたちが倒れたというホンマかどうか分からん逸話を聞いたことがあるが、松村さんにいたっては振り返っただけでこの現象。さすが。
その顔面があまりに美しく(サングラスしてるのに)、イケメン風圧で台風になぎ倒された稲穂のように、一斉におたくの魂がばたばたと倒れていった。
帰宅してから知るが、この時どうやら花道トラブルがあったらしいが、そんなこと微塵も感じさせないような堂々とした佇まいの松村さん。その後もこのエリアにちょくちょく顔を出してくださるので、その度に「ううううつくしい〜!まつむらさぁーーん!」と謎の松村さん呼びが定着してしまった。もはや北斗って呼ぶのも恐れ多い。
とにかく美しい。そして背中が広い。アンコのトロッコで何かのコードをぶんぶん振り回しておちゃめ。そして実は非常にあの白衣装が好きで、松村さんにひざ丈の布多め衣装+安室ちゃんばりのロングブーツを着せてくれて衣装さんありがとう。おしゃれ番長、かなりツボ。
そしてキネ村さんの次に花道に現れたのがジェシーだった、と思う。分かっちゃいるけど、分かってたつもりのそのはるか高く、スタイルが猛烈よくてたまげた。誰が花道に来てもスタンドに向いてファンサしてる時間が長い印象だけど、ジェシーは花道真下の人達にも目を向けて、笑顔でこまごまと反応を返していたおかげで、わりと長くジェシーを拝めた。実物は画面越しよりもずっと格好よかった。そしてはだけた肩が白ピンク色で、肌きれいだなっと見とれた。
なんの曲か忘れた(双眼鏡のゆうごをガン見していたので)けど、その曲そのフレーズを挟むんだ〜!というシーンがあった。初めて聴いたけどアドリブか、準備していたか分からないけどぱっとそのメロディを出せる才能が純粋にすばらしいと思った。そして、音合わせでBSBの『I want it that way』。リアルタイムを生きた(ベスト盤も持ってる)者として、この曲を本人たちのようにステキにカバーして歌える人はいない、とずっと思っていた私の歴史はここで変わった。
叶うことなら、もう一度聴かせてもらいたい。
美しい人、きょもも度々姿を見せてくれた。先日のDASHで女の子と見まがう美貌を発見されているけど、本当にきれいで今まで身近に血迷った男子はいなかったのだろうかと。(高校時代に「女みたい」と言われて、停学騒ぎを起こした少年マンガみたいな話は知ってるけど)(中身はたいした男です)
そんな心配をするほど生身のきょもは美人で、歌う姿にピンクのダイヤモンドがきらきらと放つ光を背負っているのが見えた。本当に『発光する』っていうのはこういうことなんだな、ときょもを見上げながら眩しさを感じていた。歌が圧倒的にうまくて肺活量すごくて、ひらひら舞う袖で跳ねる衣装の紐もすべてがきょもの美しさとともにあった。
なのにウーバー髙地に乗ったりババア言うたり自由奔放。お茶タイムのおかげで、きょもがコーヒー苦手なの初めて知った。
愛され末っ子・慎太郎もステキな笑顔で度々やってくる。本当に笑顔がかわいい、そしてテレビで見るより線が細い。だけど放つ声の圧力は強くステップは軽やかで、フットワークは軽く運動神経が非常にいいのが見てとれた。過去のコンレポとかで、あまりファンサしない傾向?と勝手に思っていたけど本当にすみません。めちゃめちゃニコニコでサービス精神満載、さすがリアコの王様で慎太郎が来たあたりのおたく、根こそぎ刈り取られそうになってたと思う。
そんでMCで一瞬孫悟空になったり、ほぼ高いところにいた(タワマンではない)ボスザルだったり、有名な「俺、慎太郎。名前なに?」エピソードだったり、グイグイ攻めるわけではないけどとにかく慎太郎からトークの種が湧いてくる、話題の中心にいる人。
じゅりは一番、期待を裏切らない人だなっと思った。絶対にブレない歌のうまさであったり、楽しいことも困ったことも処理するスピードが圧倒的に速くて安心させてくれるし、もちろんトークも含めドーム全体を・・車でいったらタイヤみたいに、方向も行き先もスピードも支配して目的地に連れて行ってくれる人だなと。(意外とハンドルはゆうごが握っている印象)
それでいてワカメの残る味噌汁を最後まで残さず食べる(味噌汁用の箸がないので、慎太郎のかすうどん食べた箸を貰って最後まできれいに食べてた)(あれ潔癖・・・?)丁寧なところだったり、メンバーにうかつに歯を覗かせる隙を見せる甘えん坊さんなとこもあったり、きょもに歌パート乗り込まれてなんでだよってなりながらも嬉しそうだったりと、青いダイヤモンドは多面的に輝くからみんなじゅりが好きなんだろうなと、深い沼の一端を覗き見た気がした。
そしてようやくかよ、と思うでしょうがここでゆうごさん登場。
多分、6人の中では一番こちらに来る時間が少なかったと思う。なのに大阪から帰った今も、私の心臓に絡まった糸の先はぎゅっとゆうごに握られたままでいる。
思えば、私が一度見たことのあるあの人は、ゆうごであって厳密にはゆうごでない人だった。そう、中身も口調も佇まいもバディ・ベーカーになっていた、あの舞台だけで生きている人だった。だからSixTONESとして、アイドルとして、スターとして生きている髙地優吾さん、に会うのは初めてだった。
とにかく、美人だと思った。本当に美人以外の言葉が見つからないぐらいの(『イケメン』とか『美男子』でもない)、今日この世で一番ぴったりゆうごをあらわす言葉は『美人』だと思った。
もちろん中身は相当男らしい人だし、一方でその風貌を「かわいい」と言われることも飲み込める人であるし、人を幸せにする笑顔を万人に向けてくれるおひさまのような人でもある。
なれど、ステージの上で踊る姿は美しい。まるで煙がたゆたうように軽く舞うような動きで、なのに人の頭上から染み込んで足までもわっと落ちて足先に広がってくる、不思議な重力がある。そう煙というよりも、水の中に墨汁を垂らすとこうなるのかもしれない。
その美しさを際立たせたのが、あのロングプリーツスカートの衣装だった。ウエストマークされた女性的なデザインに五分袖から覗く細腕が、ますますフェミニンさを加速させている。
『SPICY』のような振り付けによっては全力で「かわいい」に振り切れて、こちらの血管も数本こっぱみじんに千切れるほどキュート。どう見てもショートカットの美人さんでこれまた血迷うメンズに言い寄られ、「うっせえ」とアッパーカット一発で仕留める勇ましい姿すら目に浮かぶ。
しかし勢いのある振り付けになると、かわいさは姿を消し凛とした美人の顔をする衣装になるから不思議で、まさに幾重にも重なる層からなるゆうごの装いとして、これ以上ない選択だと思えた。
私には、あの姿が袴に見えた。ゆうごの端正な顔立ちと内面の男らしさが、白い袴のぴしりとした強さで引き締まるようだと思った。本当はまとわりついて動きにくいのかもしれない、でもそれを全く感じさせない。
動きはしなやかだけど、まるで武道をしているような強さを感じる。自分に厳しく他人に寛大で、鋭い視線も空気を裂くような勢いで蹴り上げる脚も、かわいいだけじゃない心身ともに力強いゆうごの魅力。
生で見て一層、私はゆうごのダンスが好きになった。軽いのに硬くて突破できない壁のようで、柔らかく見えて鋭い。簡単なようで真似できない唯一の、和の装いをした戦いのスタイル。彼の心の強さを示すような。
そしてダンスだけでなく、生のゆうごはなんとも歌がうまかった。メディアの画面を通して見聞きしていたもので満足していた私が非常にバカだった、この人本当に歌がうまい。たくさんの声色を持っているとは思っていたけど、歌唱力としてもすごくポテンシャルが高い。じゅりが雑誌で言っていたことが、ますます実感として迫ってきた。
確かにステージ上で、非常に目立つところを担うわけではない。でも、バラエティでの役割と同じで『やるべきことをきっちりとやる人』だ。
先日のDASHでも、すごくおいしい面白いところを掻っ攫うのは別の人。だけど的確で伝わりやすい食レポにせよ、目に見えぬ感情や画面を通して伝わりにくい現象を、誰よりも視聴者に届けてくれるのはゆうごだ。
そしてフェスやライブで歌っていて、どんなに勢いのあったりノリのいい場面であっても、絶対にゆうごは『自分に課せられたパートは歌いきる』。これは間違いなくSixTONESにとって大きな力である。だってゆうごが手放さない限り、歌で空白ができない(だからCD音源よりもライブの方が、ゆうごの声がよく聞こえる場面が多々ある)。目の前の仕事に誠実でいかなる時も自分を見失わない、ゆうごらしさが歌の場面でも存分に生きている。
これで「歌もダンスも苦手」って、どれだけ己のハードル高いんだよこの人・・・充分じゃねえかよ、むしろその魅力に絡め取られて心臓がんじがらめだよ、こっちは。
ちなみに同行していた他担も、帰宅するまで何度も言っていた。「こうち、歌うまい・・・」。
初めてのSixTONESライブで、こんなに恵まれていていいのかなと思うほどの席で、花道は伸びてきてフロートは目の前を通り、慎太郎は客席を走り(しかし私の目線は反対側のゆうご)、見どころ満載だった。フロートが近くに来た時、まず船尾で座っていたゆうごの細い脚がぶらーんぶらーんと見えて、そこから現れた格好よくて可愛くて男らしい姿、当分忘れられないと思う。
忘れられないのは、ゆごじゅりユニット曲で見たペンライトの海も同じで、じゅり側はきれいな青、ゆうご側は花畑のような黄色が一面広がっていて、それは本当にいい景色だった。
幸せな時間はあっという間に過ぎ、最後の贈り物で金テープや紙吹雪が降ってきた。
猛烈な勢いで出てくる色とりどりの紙のシャワーの中で、背の低い私が手を伸ばして掴んだのは1枚、黄色の紙吹雪だった。
4月に名古屋のライブが終わったら、またカムブロの時みたいに「もうゆうごに会えない」って、悲しくなるのかな。その時になんて思うのか、立ち会ってみなければ分からないけど。私は黄色い小さな紙切れを握りしめた。
それでもまた絶対に、会いに来るから。
それまで頑張る自分でいられるように。
手元の小さな黄色い光を消して、私は席を立ち帰路についた。次の約束までの時間、黄色の光は自分の行く先を照らす目印にしよう。
光の先がまた、ゆうごに、6人に続いていますように。
世界で一番硬いもの
そういえば最近、『4文字』に振り回されている気がする。
突然、謎のページを提示して「アルバムタイトルはどうやら、4文字らしいよ」とネット上のおたくにタイトル大喜利を開かせた、GOLD事変(仮称)はまだ記憶に新しい。絶対にGOLDにしか行き着かないスロットから始まる、随分手の込んだおたわむれだった。SONYさん、楽しい仕掛けをありがとう。
そしてアルバムタイトルも定着した12月11日、今度はゆごあしで我々はとある4文字にひっかかりを感じる。その頃突如ゆうごから贈られた、プライベートキャンプ動画に日本中で歓喜の涙が流され、その水量は2トンとも言われた。(んなわけない)
まさにそのお祭り真っ只中に、さらっと投下された・・・にしては、幾分怪しい4文字は『さらさら』(正しくは『さらさらーーーー』)。
さらさら??
怪訝な顔をしたおたくが一様に、ぴあ表紙で黄色いサークルの中にいる温泉美女のように、こてんと首を傾けた。いやあの温泉美女は確信犯すぎる。首の角度まで綿密に計算された、一般人に真似のできないあざとさだ───。(白目)
その『さらさら』が一部解禁になったのが、同日夜のFNS歌謡祭だった。MVで髙地担の度肝を抜いたヤンチャハンチング+イエローグラスの、いか地優吾のスタイルで登場したのだが、我々の目は一部分にアツく注がれた。
おお??サイドからサラ毛出てんぞ???
かわいい・・・!やんちゃかわいいぞ・・・!!日本の夜明けぜよ・・・!!!
そう、これがかの有名な坂本龍馬も驚愕したという、ゆうごサラ毛維新であった。傾国顔も開国顔も飛び越えた、もはやペリー来航開国騒ぎである。黒船といえばリア・ディゾンはお元気だろうか。
しかし諸君、ゆめゆめ油断することなかれ。私たちの好きなあの人は可憐なきゅるきゅる童顔でありながら、中身はやんちゃな男前。ハマ魂を常に心の中で燃やし、全国おおくらざらえゆうごカワイイ祭りの中、突然のかまし散髪およびパーマに踏み切るではないか。
覚えている。去年の『アンセム』MVでメガネのサラスト髙地先輩に赤面したのもつかの間、年末歌番組にはかまし散髪使用後&パステルカラースーツのヤクザスタイルで登場したことを。普段はおとなしく部室にこもっているため、知る人ぞ知る的存在の超絶小顔モデル体型なイケメン髙地先輩が、180°予想外の就職先を選んで隠れファンたちが文枝師匠なみにソファーごと横転した、あの日を。
いや別に嫌いではない。いかつかろうがかましてようが焼きそばだろうが、彼の内面は最初から1mmもブレてないところが好きだ。好きだけど、なぜだろう心の中のヒゲダンが「グッバイ♪」と歌い始める。サラ毛にグッバイだ。しかし行き着くところは「たった1つ確かなことがあるとするならば、君は綺麗だ」。そう結局好きなの私たち、彼が。最上級好み大爆発No.1の髙地先輩も、『共鳴』MVで鋭い視線を投げる金髪ツーブロックの男前ゆうごも、『声』ジャケットのふわパーマ黒髪メッシュバチバチイケメン髙地様も、なんだかんだでみんな好き〜。お手上げ白旗大名行列。
揶揄される言葉でもあるが、基本的に『お花畑』という場所に私は住んでいる。推しのことを少し別角度から見て、「推しならすべて許せるわけじゃない、物申したいこともある」と強い意志をもつこと、それもひとつのありようなのかもしれない。
ただ私は、好きな人のことを単純に肯定したいだけなのだ。好きな人が好きなことをすることを応援したい、きっと黙ってるだけで熟考して色んな駒を進めているだろうから、それを信じてつべこべ言わずついていきたいだけだ。
けど・・・髪型に多少動揺するのは許しておくれ♡
さてそんな田舎のお花畑住まいの日々にも、年末怒涛の推し特大供給フェアが日々訪れている。こんなにいつ撮ったんだと冷や汗が出そうなほどのバラエティ出演、歌番組およびフェス登場予告、小出しにやってくるアルバム情報、ありがたくいただいている毎日のゆごあしに感激動画、そしてスト担あげての年越しイベントである生配信・リーダーじゃんけんの告知である。
そんな目の回るような幸せな毎日に、本日新たな1ページが追加された。
ヒルナンデス出演と、CDTVクリスマス特番である(実はまだ前者は見てなくて、このブログをまとめるために保留にしてある)。メドレーの歌い始めにいきなりメガネを落とし、踏まれないかとヒヤヒヤしながらも曲のつなぎで無事に確保し2曲目でメガネゆうごとして登場した、あれから早くも1年。
その数日前にはついにあいつがあらわれた、そう毛毛ボール。それは物言わぬ、静かな預言者なのか通告者なのか。
おたくに何かを突きつける役割を果たし、黙って消えていく毛毛ボール。今回はあのサイドサラ毛の終焉を告げに来たんだな・・・と、画面の前でぐっと覚悟を決めたあの日。グッバイサラ毛、君は運命の人じゃない。辛いけど否めない、けど離れがたいのさ───とぶつぶつ言いながら、今日はどんなヤンチャスタイルで登場するのかと腹に力を込める。
しかし登場数分前、スマホに届いた通知で驚愕の事実を知る。あの毛毛ボール、やってくれた・・・!パーマはパーマでも、ストレートパーマだよPretender・・・・・・!!!おおおおおおお生きていたんだね、愛しのサラスト茶髪!ありがとう会ったことない担当美容師さん!!!あっ『サラスト』も4文字やんか。
しかも!しかも!!「何着てもかっこいいから、ゆうご生きてるだけでありがとう」と毎日東の方面に両手を合わせつつ(※ロケのためゆうごが東にいるとは限らないが)、それでも久々に見たかったスッキリブラックスタイルではないか。これはもしかして、走馬灯・・・?
そうか今日は12月16日、『ひ(1)つ(2)ぎにはい(1)ろう(6)』の日なんだな。てことは喪服なのか・・・?こりゃスタイリッシュすぎて、おちおちしんでられないな・・・!
画面の前でひとりで生きたりしんだりしながら、卒塔婆いやクリスマスツリーの前に現れた黒スーツ男前6人を眺めながら、ひいっかっこいいっと数秒に一度自動再生で口から悲鳴がこぼれる。
令和の黒船サラストゆうごはそのスタイルのよさを存分に活かした、スリムなパンツ姿。
えっ、まじで王子様やん・・・💛
ブラックな装いの襟元はレディライクにひらひらと揺れるデザインで、胸元のブローチはト音記号に似た形と、6つの錠剤のような(言い方)形のシルバー素材。反対側の胸には流星のように輝くチェーン。イエベ(だと思う)でも、シルバーの上品さが似合うまさに王子様。しかし足元はブーツでやんちゃエッセンスを忘れない、王子様は王子様でも乗り物は白馬ではなくハーレーダビッドソン。乙女の初恋とこじらせ魂をぐつぐつ煮詰めた、まさに少女マンガからやってきた憧れの先輩像。しかしポッケに手を入れてやんちゃを隠しきらずに歌うところが、ただの憧れの日々笑顔な王子様じゃないところが、これまた最高なんだぜ。
そんなバイクに乗った王子様と、ドロスト袖が世界一似合うペプリポ王国の皇太子(その名は北斗)が並んだ姿の美しさにも涙を禁じ得ない、そうさ僕らはゆごほく厨。
話はそれるが、松村北斗という人は178cmの長身ながら男性性と女性性を持ち合わせた、他に類を見ない存在だと思っている。
デザイナーが描く、角ばったイラストのような体格のよさを持ち合わせているのに、ファッション誌などで見せる表情が雄になったり雌になったりする。パーツが派手に大きいわけではないのに、ひとつひとつが上品で美しく、バランス整った配置をしていることは勿論だが、意図的に獅子のような男の顔をしたり、かたや切り立つ崖に咲く花のような顔をする。『NEW ERA』MV などが分かりやすい例で、すっきりと切り揃えた襟足で衣装も大柄を活かしたデザインなのに、横アングルからこちらを流し見る表情は女豹のようで、あやうく男性も惑わせる目線を投げかけてくる。
そして見た目だけでなく、歌声も両性のよさを持っていると思う。北斗と言えば全体を支える深みのある静かに響く低音、しかし私が好きになった北斗の歌声は女性を思わせる艶めいた高音だった。北斗の音域の広さは素人の私にも分かるほどで、男性的な低音と女性的な高音を繊細に操り、一曲の中でも両方の顔を見せることすらある。北斗の声の幅の広さはまさに平原綾香の男性版だな、とよく思う。
見た目も能力も何人分も持っていて、それなのに中身があんな面白人間なんて。松村北斗、味わい深すぎてずりぃよな。そんな北斗、いつもゆうごのことを努力家だって声に出してくれてありがとう。北斗がシンメでよかった。みつを。(どこのみつをか)
そんな横道それ放題の中、それついでにもうちょい喋らせてもらう。そう黙っていられないぜ、慎太郎のメガネ姿に♡
何だあれ!!!格好良すぎてメガネ業界がざわついただろうよ!!!2025年のメガネ広告界を背負って立つ人材として、一夜にして有名になっただろ慎太郎がよ!!!
胸にあんなにでっかいコサージュ、むしろ花束を君に状態だったのに、メガネにばっかり目がいって歌い終わってから公式供給写真を拝見して、花束の存在に気付いたよワシは!慎太郎にメガネをありがとうスタイリストさん!
あれはきっとそうだね・・・国家の中枢で手腕を振るう、某二世議員の秘書だね慎太郎。二世議員のために、悪事に手を染めながら酸いも甘いも噛み分けて暗躍し、「闇の道は私が歩くので、先生(二世議員)はひなたの道を歩いてください・・・」っていう、何かをパクった感のあるモノローグを背負っている感じの、とにかく影のある代議士秘書設定で。だけど『音色』のアカペラパートでしゃがんだ姿は、岡田くんもびっくりなSP風味。
ゆうごがバイクに乗った王子様なら、慎太郎は黒塗りベンツに乗った正義のために悪役を引き受けた、ダークヒーローだね・・・もう横道それすぎて、帰ってこれないよパトラッシュ。
強引に歌番組に話を戻すと、手に手を取って歌う京ジェの姿に、世界中の国々が国交を正常化するような平和条約が結ばれた瞬間を見た気になった。美しい・・・なんと美しい握手か。京ジェが条約を結ぶなら、きっと地球上は永遠の平和を約束されるだろう。だってあの2人だからさ。ジェシー絶対に相手を否定しないじゃん。
そんな坊っちゃんがお約束のツリー見学に出ているところが、ALWAYSゆうごにキャーキャーな私の視界にも何度か自然に入ってきた。そりゃ慎太郎も笑うて。それなのに唇を指でなぞる美顔が画面に大写しとか、めっちゃめちゃえろくてずるいやん。これがチキハラする人と同一人物とは、国民の何%が知っていることだろうか。
そしてみんな思ったよね、
じゅりの声すげー聴こえるな?
いや、私はいいと思う!じゅりのパブイメとしてはラップやMC、バナナサンドのつられまくる人ってとこが知られていると思うので、じゅりほんと歌うまなんだぜ!!!ってとこが、いろんな人の耳に届くチャンスだと思う♡
私は常に、じゅりの歌を信頼してるんだよね。バナナサンドでハモリにつられるのがふしぎなぐらい、普段のじゅりは音程がブレない。音響設備のせいか、周りが歌いにくそうだなーと思う歌番組でも、じゅりのところで修正してくれたことが何度もあったから。
あのスモーキーな歌声、もっと聴かせてやれよ!!!もっとくれよ!!!
ゆうごが実力に比べて生歌が苦手なことは、本人が一番分かっているはずなので、あれこれ言いません。
歌唱後の小窓やストグラムなど、おたくをこのうえなく幸せにしてくれた12月16日、最高のビジュアルで響く6つの音色を聴かせてくれたことに、心からのありがとうを。
これからいくつ歳を重ねても6人揃って、アカペラで『出会えただけで特別な每日 あぁこうして僕らは今歌ってる』と聞かせてほしい。何年経っても、笑顔満点王子様スタイルのゆうごのヤンキー座りが、誰よりもいかちくてハマ番出してるところが見たい。
2024年、忙しくて大変だと思う。どうか健康で、今年最後の瞬間まで6人で駆け抜けてください。
黙ってついて行くから。
会ったこともない6人にたくさん背負わせて悪いなあと思うけど、全幅の信頼をもって2025年もその先もSixTONESを追っかけていくよ。
形あるものに永遠なんてない、のかもしれない。この先も誰ひとり欠けることなく続いていくことは、もしかしたら至難のわざなのかも知れない。
けれど、大好きなマンガに大好きな言葉がある。「永遠というのは人の想いだ
人の想いこそが永遠であり
不滅なんだよ」
6人が6人お互いを思いやる心が、どうか『永遠』でありますように。もしもこの先形を変えたとしても、今この人生で結びついている6つの心がこれからも、美しい音色で繋がっていられますように。
その絆、世界で一番硬いダイヤモンドのようでありますように。
そう願う心もまた、『永遠』なのかもしれないね。
灯
(先に牽制球を投げてワレずるいな、って思うのですが、今回ほぼ脳直で投下しているので練り練り不十分でお送りします。そーだな、昨日のブログを#1とするならこれは#1.5ってとこかな)
私はゆごあしを、影絵だと思って普段眺めている。持ち主の姿を見せないで、シルエットだけで優しく伝えてくれる、虚構に似た風の吹かない世界だ。
それを演じてくれる人が美しい姿なのか、はたまた青髭が生えているのか、泣いているのか笑っているのか、完璧な黒子に徹していてこちらからは何も見えない。
その影絵にも、セロファンが貼ってある優しい彩りを見せるものから、無骨に切り取られた黒い画用紙だけの状態まで様々であるが、徹頭徹尾『正体を見せない』という鉄の掟を敷いた、コンセプチュアルな世界であることは変わらない。
普段、何をして何を思ったかをソフトフォーカスにして、まるで熱い鍋の蓋を開けた時にほわっと過ぎ去るひと塊の湯気のように一瞬の熱だけ見せて消える、意図的に敢えて意味も形を残さない文面のゆごあし。
— 有羽@稔のふるさと (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2024年12月5日
今夜そこに人の影を映しておいて、「意味はないよ」って言うなんてあなたはずるい、好きな人
今日誰と会いました、どんな仕事をしました、こんなものを買いました、それらを全部言う必要はどこにもない。仕事上まだ解禁できないこともあるし、すべてを晒す仕切りのなさはアイドルというある種神格化された存在には必要ない。見えそうで見えない秘密は蜜の味、だ。
だからそこに、少しでもリアリティが見えるとおたくはこぞって喜ぶ。好きな人のことはどんな小さなことだって知りたい、画面のこちらからでも匂いがするなら嗅いでみたい。こちらからは踏み込めないから、飴が降ってくるのをわくわくして控えめに待っている。
それを徹底して排除したコンテンツが、『優吾のあしあと』だと思う。匂いどころか実体も見えないし、結局ゆうごが何をして考えていたかかすりもしないで、気付いたら今日も「日々笑顔😊」でシャッターがおりている。
これが彼なりの自衛手段なのだと、必要以上に介入しないで長閑な影絵を眺めるのがルーティンなのだ。
それが、たまーーーーーーーに「今日の俺は投げやりなんだぜイライラ」と、心情を見せてくれるからそこでざわめきが起こる。なんたって、影絵に実体のある人の影が映り込むからだ。
さあ姿を見せて、美しい人。その長い睫毛を震わせるものは何。
しかし伸ばした手は届かない。「深い意味はないよ」と、ふんわり笑顔で背中を向けてまた黒子に戻り見えなくなる。ステファンでも『オレ、そんなに思い詰めてブログを書いてないので(笑)。深い意味がなくてすいません!』と、相手が踏み込みかけた足をさっと払って、爽やかにかわしていた。謎男ぶり、ここに極まれり。
答え合わせをしてくれることも、ない。おたくは一方的に想像するだけだ、「これはもしかしてANNのフリートークやananのインタビューで言ってた、スマホのバックアップの日のことかしらソワソワ」と。もちろん想像の域は出ない。
20年以上前、Free&Easyという雑誌をたまたま手に取った時、ある有名歌手の総力特集をしていた。
私は彼女のことが嫌いだった。読み終えてからも別に好きにはなっていない。けど、華やかな見た目や頭の軽そうな話し方の陰で重い過去を背負って生きていることには、共感を覚えた。
そこで彼女は、自分をジャンヌ・ダルクにたとえていた。最前線に立つ彼女への声援は、しんでくれしんでくれとコールされているようだと。
そうだ、人前に立って賛否色んな気持ちをぶつけられてそれでも着飾れ微笑め歌え踊れ、それは確かにみんなのために戦って生贄になってくれと言われているのと似ている。
ゆうごは今日のゆごあしで、珍しく心境を吐露していた。苦手なことへの努力にも限界がある、生まれ持ったセンスというものは存在する、自分には何が秀でているのか、と。
今ゆうごが何かにぶつかっていて、目の前の壁を高いと感じているとして、そこを「頑張って!」と鼓舞することは、ゆうごに苦労し続けることを直接強いるようでつらい。しかし、「ゆうごは充分頑張ってるから、それをやめていいよ」と言えるのか?
やめていいよ、は『つらいなら皆の前から消えてもいいんだよ』と言うのとほぼ同義かもしれない。はたして言えるだろうか、もうやめてもいいよって。あなたがつらいならこの世界をやめても、と。
・・・分かっている、言えない。それがエゴと承知の上で、やめてもいいよと言えない。だってあなたを見ていたい、これから先も。
あなたが苦労するのを分かっていて、それなのにやめてもいいよと言えない私は、残酷なことをしているのかもしれないと青くなる。それはまるで前述の生贄のようだと、間接的に犠牲を強いているようで怖いことだと。
でもきっと、「やめてもいいよって言えなくてごめんね」と謝られても、ゆうごはきっと嬉しくないだろう。ただ悲しくもないと思う。そんなおたくの感傷に振り回されることは、彼はしないだろう。
迷いながらも、自分の道を本人曰く『わがままに生きている』からだ。人の都合で折れてなんてやらない。ゆうご、それはこの世界を生きるあなたが身につけた能力のひとつとは、言えないかな?
『秀でた才能』は、人から見たものと自分が感じるものとは違うのかもしれない。こちら側から見たゆうごは、優れた運動神経に長文セリフも覚えられる驚愕の記憶力を持っている。
きっと基本に忠実で見本にしたいような、真っ白い布のようなダンスもどんどん墨を落とすように進化しているし、歌だってゆうごは自分でへたくそって言うけど、私はそう思わない。きれいなファルセットと、あてられた箇所をどんな時も歌い切る真面目さ(ライブ音源になるとそれがよく分かる)を持っている。
物の価値と流れる時間が世間とは違う場所にいても、常に地に足をつけて灯台のようにまっすぐ光をのばしている堅実さ。そしていつもそこで道を灯してくれる安心感。あなたは螢のような優しい黄色の光を常に纏っているあたたかい人、それはSixTONESにとって代用の効かない心の支柱。
けど、きっと本人から見たらそれは当然のことで、きっとそこがスタート地点もしくは土の中くらいの感覚なのかもしれない。そこから上に伸びようと、必死で手を伸ばしているのかもしれない。私たちから見て100あるものも、今のゆうごには0に見えるのだ、見据えている光の先がまだ遠いのだ。
ゆうごがスク革やバラエティ番組で何か困難なことにチャレンジする姿を見るたび、『学校へ行こう!』の少年オカダ、つまり若い頃の岡田准一を私はいつも思い出す。
少年オカダは、水の上を走るなど一見不可能な課題を、短時間の練習で常にモノにしてきた。そういえば彼も、番組のオーディションでジャ務所に入ってきた人だ。そこに歌って踊って演技して、が加わって猛烈な努力と鍛錬の末、唯一無二の人になった。
ゆうごも見せてくれるじゃない、無謀な課題に対する真摯な努力、人並み外れた集中力、諦めない強い心を。すべて人や状況のせいじゃなく『出来ない自分が悔しい』という、自分に課した厳しい責任感を。
そして終に手にする、人が驚くような結末。
戦い続けた先にしかない、特別なトロフィー。
顔がいい身体能力が高いという生まれ持ったギフトをやすやすと飛び越えた、傷ついて磨き込まれた末の強い精神力を。この世界に入って15年、心が折れることが何度あっても、あがき続ける能力を。
ここに来るまで諦めたり捨てたりしたものはきっとある、けれど丸腰で流されてきたわけではない。君はしっかり握っているじゃない、針と棘だらけの道を全力で走り抜けてきた先に。指の間から、大切に守った光が漏れているじゃない。
『這いつくばったって諦めない』掌に残されたそれは、あなたの才能だよ。
気付いてほしい、私たちがゆうごに見とれるその理由を。あなたが放つ輝きの強さを。
そして捕まえてほしい、自分で納得できるゆうごだけの魅力を。たぐり寄せてほしい、あなたを支える自信となるものを。
あなたがまだ自分を特別じゃないというのなら、特別になるまで私たちはずっと目をそらさないで見ている。
ほんとはもう、十分特別なんだけどね。
砂に溶けるもの
あれは音楽雑誌だったか。
今年はあまり仕事ガツガツいかないで好きなことをしたいです、みたいなインタビュー(※だいぶうろ覚え)を見て、この人今年あまりメディアに姿見せん気じゃなかろうか・・・と拭いきれぬ不安を常にぶら下げていた時期があった。
映像仕事で他メンがハイパーバトンパスを繰り広げて、常にスト5の誰かが画面で別人になっていた。2000年代、豹本人よりも豹柄を着てる時間が長いのではないかと思う、流行を牽引する歌姫がコンビニじゅうの雑誌で表紙を飾っていたように、平積みにされた雑誌の一角にその全部で表紙になっているメンバーもいた。その量と出版ぺースに、該当担さんは追いきれるのだろうかと余計な心配をするほどだった。
相対評価はよくない、と思いながらそれらが猛烈に羨ましく、そしてインタビューで『自分なんかが発信できるものはない』『目立ちたくないし、闘争心もないから芸能界向いてない』『僕じゃなくてSixTONESを愛してくれたら』と繰り返すゆうごに、その『自分なんか』を心からお慕いしているわしらはどうなるんじゃいと、もどかしいやら淋しいやら少々イラつくやら、で地面をごろんごろんしながら不安がっていた。
2024年末、今年を振り返りただ思う。
なんだったんだ、あの不安は。
ドS的壮大な前フリだったのかよ!
ごろごろと苦悶していた自分がそのままスライディングしてシュートを決めるほど、その後に怒涛の雑誌ラッシュがやってきた。
口火を切ったのは5月上旬発売、『Depth』EDITION02である。突然の単独表紙登場であった。
4月に告知が出た途端、髙地担は上へ下への大騒ぎとなったのは記憶に新しい。私も上下バウンドを日々繰り返していた。そして髙地担のとってもいいところは、予約確保できなかったり買い足したい同担のために、『どこそこの書店にありました』と目情をXで共有したり、まだ1冊も買えてない人のために追加で今は買わずにおこうとする、共存共栄が自然に行われているところである。なんと美しい。推しの姿はおたくに反映するとはこのことかと驚いた。
その後も快進撃は続く。横浜LOVEウオーカーにまさかのTarzan、同発美人百花そしてステファンBARFOUTと表紙に推しが大量発生し、表紙以外にも超絶男子図鑑にeclatテレファン6人で出るCanCamその他あらゆる方角から刺客が飛んでくる、暗殺騒動が起こった。
それらの発売日には日本中で髙地担の屍が発見される事態に発展し、命からがら生きながらえたとて生のバディ・ベーカーにとどめを刺されて再起不能という、髙地担根絶ルート(精神的に)が待っているのかと思う下半期が全力疾走で過ぎていった。おっとVVS円盤でも死者が出た模様。墓前に推しの写真を供えてくれ。
とりわけ今年出版された雑誌類でも、この下半期は捨て色なしの全色使えるアイシャドウパレットの如く、どこもかしこも男前カーニバルだったと思う。
こんなにビジュアルが整った年がかつてあったのか。いやいつだってゆうごはかっこよくて可愛くて小悪魔で好青年で謎男なのだが、今年のビジュアル安定感は神がかっていた。何かを引き換えに差し出したのでは、と心配するほどに常にトップスピードで走行していた。
「推しの誕生日は自分の誕生日みたいなもんだからね」と、おたくの心を存分に理解して共感を示し、自分に求められる姿顔かたちを把握しそして出力できる、打てば響くを体現するゆうごという人が、今年たくさんの媒体で見せた顔は今までのものよりずっと色鮮やかだった。
私もそれなりの年月をジャ務所とともに過ごしてきて、その時々で一番応援する人たちがいた。今でもそのほとんどを好きなままで、大切を増やして生きている。
その中で、ゆうごは少し特殊だった。ビジュアルの振れ幅が特段、大きい人だと失礼ながら感じている。
無論、以前から応援しているお兄様方にもビジュアルの変動はあった。謎のヘルメットみたいな髪型になったり、それはもしやおばパーかな?みたいな事件が起きたり、ちょっとお肥えになられてアゴはどこへ行った?みたいなこともあった。(スミマセン)
ゆうごもよりによってツアー直前に年1のヤキソバを繰り出して、おたくを落胆・・・いや動揺・・・いやこれ以上フォローできない、とりあえず界隈は風に揺れる柳の如しだったと想像してほしい。
それに加え、本体もっとDIY(できる・いける・やれる)なはずなのに?みたいな写真の仕上がりも、そこそこな確率で見られた。太ってもないし肌荒れしているわけでもないし、生活が荒んでいるわけでもない。なぜか実力が出せない、そんな不思議な人を推すことになり、その横揺れにふっ飛ばされないようしがみついていることもあった。正直ですまない。
しかし2024年下半期の雑誌では、それが限りなくゼロに近かった。今期のゆうごは、常に山頂で輝いている星だった。
くふふと笑っていても、おたくごろしのかわいい表情も、息が止まるほど美しく目を伏せた横顔でも、お得意のぷく顔でも、透明感で透けそうな視点の定まらない顔も、大きな目をくりっと横に流しても、とにかくビジュアル最大瞬間風速を記録している。
この美しさはなにかいいことがあったのか、いやそんなことで左右されるメンタルでもビジュアルでもないなこの人・・・と、とにかく本人のポテンシャルの高さを見上げていると首がつりそうになっている。
この美しさの根源は何なのだろう、それを生み出すものは何なのだろう。持って生まれた素質だけではここまで育たない。顔がよくスタイルがよく生活が整っていて自分の大切なものを譲らず生きる気概、それに加えて何かがエッセンスとなって、この美しさは完成していると思っている。
それが、私がこのブログでよく使う言葉。
『絶望』なのだと勝手に思っている。
それはあなたが発信する、自分の置かれた世界に対する諦め。そしてこちらが感じる、あなたからの親しみと同居する隔絶。
前に『超絶男子図鑑』の記事でも書いたけど、「引っ張られながら押し返される」、そのプラスとマイナスが同時に弾ける感じが、ゆうごの大きな瞳から暗闇として届けられる。その闇は背中をぞくぞくさせるほどの迫力があるのに、なぜか温度を感じない。むしろ、温度すら届けてもらえない。
そんな「好きだけど近付くことを許されない」距離感が、あの独特の美しさを生んでいると勝手に思っている。
だからあなたから目がそらせない。
そして2024年もゴールが見え始めた秋のある日、髙地担の多くが待ち望んでいた(しかし、雑誌ラッシュ時には姿を見せずじまいだった)あの大物が、ついに顔を出した。
即座に界隈は大揺れし、一秒でも早く予約開始しろとネット通販サイトに16連射の高橋名人のように、リンダリンダ連打連打連打とカツカツカツカツ訪問リロードしまくる、普段おっとりの髙地担が一瞬でせっかちさんに変貌する、ひとの人格すら変えてしまうあの大物の名は。
そう、an・an単独初表紙である。
この世のすべてを地引き網でさらえることが可能なほどに、めでたすぎる大ニュースの訪れ、駅前で号外も配られてよいほどのまさにサンライズニッポン的大賑わいで、Xの底が抜けた。(うそです)
ここが腕の見せどころと大量注文するもの、大切な一冊を抱きしめて生きるもの、発売日にAEDを構えて待機するもの、到着が待ちきれず電子書籍デビューするもの、私は全ての髙地担の行動を肯定したい。
かくして、アルマゲドンは起こった。エルトン・ジョンの曲に合わせて、宇宙服を着た配達員さんがヘルメットを小脇に抱えて各家庭にan・anを配布していく。もしくは、全力で各地に輸送していく。
これは、 #anan という名の写真集やんか・・・800円弱で買える、天井貫突クオリティ美麗写真集って何事なんよ🫨ほんっとに、ほんとーーに1枚も「おや?」っていう捨て写真がない。どれも最前線、どれも世界大会スタメン。若い頃の面影はもちろんあるけど、常に『今が一番』を更新する天才が #髙地優吾
— 有羽@稔のふるさと (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2024年12月4日
まさにこれは『写真集』である。これが写真集でないのなら、ゆうご側は改めてマガジンハウスさんで写真集を出版するといいと思う。
表紙の衝撃、中吊り広告の衝撃、それらを凌駕したものが乗車率200%で詰め込まれている。とにかく恐ろしい出来である。
「あなたの好きなゆうごが、必ずここにはおさめられている」と、マガジンハウスさんに代わって断言したい。髙地担の大好物が重箱の端っこぎりぎりまできっちりおさまっていて、好きなゆうごの姿が必ずある。むしろ好きなゆうごしかなくて、その中から一番を選ぶのは難しいほどに。
もこもこ前中後の全てが猛烈キュート、重ね着してよし脱いでよしanan最高。ちらりと覗く生膝下数cmに心が全力でかき乱される。布多め衣装と少しの生の対比がベストな関係。ゆうごが寝転んだらおたくの死骸も全国で同じように転がるので、彼はうかつに寝転んではならない(絶対嘘、寝転ぶべき#髙地優吾
— 有羽@稔のふるさと (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2024年12月4日
あの、風呂上がり濡れ髪萌え袖ブルーカーディガンのえろい妖精さんは一体、何頭身でいらっしゃるのこれは。ほぼ体、ほぼ足。そして据えられたお顔が本当に同じ時代の同じ国に生まれた人間なのが信じられない美男子。神様のプレゼントやんこんなん・・・。全身が神が創りし最高の作品。#髙地優吾 #anan
— 有羽@稔のふるさと (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2024年12月4日
しかし、かわいいかっこいい男前色っぽい、だけで済まぬのが髙地優吾その人である。
誌面の設定で『別れた恋人との思い出に浸るワンシーン』があるらしい。おたくが喜ぶSixTONESにちなんだアイテムをちりばめながら、そして限りなくプリティな姿で髙地担の目尻を奪っておきながら、そこに寂しさを忍ばせている写真群が続く。
そして最後のセクションで、一気に物語が進む。
#anan 最終コーナー。『ニュートラルな状態でいるのが一番疲れない』という凪いだ文面に、黒メインで羽毛が舞う写真。温度差こわ。
— 有羽@稔のふるさと (@xRb2uvxOVMQgVfK) 2024年12月4日
なにこれ、男前まき散らしといて本当は失恋の痛みで猛ってるのあなた。苦しみで寝具引きちぎって羽毛握ってんの実は?
狂気でサイコパスすぎる君に、悪魔な恋 #髙地優吾
先ほどまでのほこほこ感と一抹の寂寥感をスパイスに紙面を彩っていたゆうごに、別の顔が潜んでいたことを思わせるカットが襲いかかる。
別の『顔』と言いながら、顔は見えない。あるのはいつものバングルをつけた右腕。その周りを、むしられた羽毛が舞う。
これはやりきれない苛立ちか衝動的な乱暴さか、喉を裂く苦しみか。
この一枚で、今までの写真たちの意味を変えてしまった。あのほこほこしていたもこもこーちの水面下では、こんなに痛みと暗闇が渦巻いていたのかと一瞬で青ざめる。
この、底知れなさこそがこの人の真骨頂である。笑顔の人なのに、笑顔だけで終わらせない背景を滲ませる。もはや手元だけで凄みを感じる。
そしてページを捲ると、幸福感とは一歩離れたところで微笑むゆうごがこちらを見ている。そこで物語は、余韻を残して途切れる。
あれだけの温度差を一冊の、ほんの数ページで表現してしまうゆうごが私は好きだ、好きだけど少し恐れている、恐れているからこそ惹かれている。
怒涛の1年の終わりの終わりで、また一歩ゆうごから離れられない己を感じて、幸せな溜息をつく。ああなんて人を好きになってしまったのか、そう思っても引き返す気はさらさらない。
惹かれている、でも押し返されている。そんな狭間のプラマイゼロの世界で、ただどうか、と願うことはひとつ。
どうかあなたが自分の価値に気付きますように。
『自分なんかを』と卑下する心が消えますように。
その時、もしかしたらゆうごの瞳から『絶望』がさらさらと形を崩して、砂時計の下側に消えていくのかもしれない。
その落ちた砂が、どうかあなたの心を支える自信になりますように。そんな願いとともに、2024年の表紙大騒動が過ぎていく。
2025年が、ゆうごにとって幸せな年になりますように。